順天堂大学の歴史について、こんな情報知ってます?

いろいろ

皆さんは順天堂大学をご存知ですか。
名前だけは聞いたことがあるけれども詳しくはよくわからない、という人も多いかもしれません。
現在、医学部、スポーツ健康科学部、医療看護部、保険看護学部、国際教養学部の5つの学部を有する順天堂大学ですが、その起源は一体どんなものだったのでしょうか。
今回は、順天堂大学がどのように設立されたのか、その歴史を詳しくみていきましょう。

蘭方医学塾を開設した佐藤泰然

順天堂大学の歴史はある意味では日本の私立の医大では最古かもしれません。
1838年(天保9年)に佐藤泰然が江戸薬研堀(現在の東京都中央区東日本橋)に蘭方医学塾(和田塾)を開設したのが、順天堂大学の始まりと言われています。
佐藤泰然の次男は、司馬遼太郎や吉村昭の小説に登場する著名な人物である松本良順です。
彼はのちに西洋医学所の頭取となりました。

また、蘭方医学塾(和田塾)は、1839年に大阪で緒方洪庵が開いた適塾と並んで西洋医学を独自の立場で教えていた私塾です。
この蘭方医学塾(和田塾)が1843年(天保14年)に「順天堂」と改名して千葉県佐倉の方へ移ったのです。

跡を継いだ佐藤尚中

佐藤泰然の次男である松本良順は養子に出され、一番高弟の佐藤尚中が佐藤家の跡を継ぎ党首となりました。
この時から、実子に跡継ぎをさせないという順天堂の慣習が構築されたのです。
家系や血縁関係にとらわれず、才能をもとにして人物を判断する進歩的な考え方を、当時から順天堂は取り入れていました。

また、佐藤尚中自身も、長崎でオランダ人軍医ポンペから近代医学を教わり、当時は珍しかった解剖実習にも取り組んでいました。

このような歴史の経緯から、順天堂大学の「不断前進」の姿勢が感じられます。
佐藤尚中は、1869年(明治2年)に明治政府から大学大博士を任じられ、大学東校(東京大学医学部の前身)の創設時の初代校長に就任しました。
彼は大学東校を開設し、1873年(明治6年には順天堂医院(現在の順天堂大学医学部附属順天堂医院)を開設しました。
明治8年(1875年)に湯島・本郷(現在地)に移転し、現在に至るのです。

現在の順天堂大学

以上に紹介したように、現在大学附属病院を複数有する順天堂大学医学部は、170年以上の日本の医学校としての伝統と歴史があるのです。

東京大学が1877年に開設されたということを考えると、順天堂大学はそれよりも古い歴史をもっているのですね。
このような経緯のおかげで順天堂大学医学部は東京大学医学部から病院長や教授などを多く受け入れていたが、近年は順天堂大学出身者が教授の多数を占めるようになっています。

まとめ

いかがでしたでしょうか。
回は順天堂大学の歴史を深く掘り下げてみました。

順天堂大学は1938年に西洋医学を独自の立場で教える私塾として江戸薬研堀に開設され、その後1843年には千葉県に移転し、1873年には順天堂医院が開設されました。
そして1875年、現在の湯島・本郷に移転したのです。
さらに現在では国際教養学部を含む5つの学部で教育・研究に励んでいるのです。

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